Latest update: October 2, 2022
志々島:2022年9月24日〜26日,参加者 9 名
9月24日 1日目: 今年の夏は天候不順で夏山例会施行がほとんど中止で、今回も1週間前の天気予報では雨が予想されていました。しかし台風15号の通過で天候が変わったようで、3日間快晴の恩恵を受けました。
 始めに志々島を紹介します。丸亀市の沖合に浮かぶ周囲3.4キロの小島で、最高峰109.14mの横尾の辻、現在人口は17人です。島のシンボルは樹齢1,200年の大楠で東西に長さ25m余りの大きな太い横枝を地面すれすれに伸ばし、両翼50m高さ30mに広がった枝の巨樹は壮大です。昭和の初めには人口が1,000人を越え、漁業と除虫菊の栽培が主な産業であったそうです。
 9月24日8時半に岐阜多治見から参加の自動車と名神桂川パーキングで落ち合う。そして2台に分乗して四国に向かい、2回休憩を取り瀬戸大橋を渡り、昼前に坂出インターで降りる。
 昼食は讃岐うどんに決まり、インター近くの車が多く停まっている店に入る。皆、各々美味しそうな讃岐うどんを頼み、好みのトッピングを乗せる。私は温かいぶっかけうどんと竹輪の天婦羅を頼み、480円を支払いました。とても安く、美味しい讃岐うどんが食べられました。
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 食後、日本のユウニ塩湖と呼ばれる父母ヶ浜に向かう。1時間位で到着し、潮が引いた砂浜に出る。各所に潮だまりが有り、多くの人が飛んだり跳ねたりして潮だまりに写る写真を撮っていた。我々も試みるが飛んだり跳ねたり出来た人は少なかったようです。
 志々島へ渡るフェリーの時間にはまだ大分有る為、近くの紫雲出山352mに車で登る事にしました。頂上直下まで車で上がれ、展望台からは手前に粟島、右手奥にこれから渡る志々島がよく望めました。
 島には商店が無くフェリーに乗る前に島で必要な物をスーパーで買いました。
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 16:20分フェリーで志々島に向け出港。粟島を左手に見て、真直ぐ志々島へ快適な20分程の船旅で1人350円は安かったです。志々島へ上陸後港近くのお食事処「くすくす」に寄り、ウエルカムドリンクを頂き、今日から2泊する古民家宿舎「きんせんか」へ向かう。
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 「きんせんか」は昔、田舎のお婆ちゃんの家へ行った時の事を思い出す様な所でした。荷物を解き、6時半に先程立ち寄った「くすくす」へ夕食に向かいました。「きんせんか」に泊まり「くすくす」で食事を頂くのがセットになった、島唯一の施設です。
 今晩の夕食は始めに近海で取れたオコゼとタコの刺し身を冷えたビールで頂きました。夕食後「きんせんか」に戻り宴会の2次会が9時半頃まで続き、先輩ご夫妻の面白い話で盛り上がりました。
 部屋は焚いた蚊取り線香が多かったためか,すごく煙っていました。

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9月25日 2日目: 昨日の移動で疲れたのかぐっすりと寝て、今日の目覚めが良い。外に出ると空気は清々しく大きく深呼吸をした。茜色に染まった空、青い海が目の前に広がっている。今日も良い天気、気持ちが良い。
 朝食まで自由時間、食事、洗濯、掃除から解放され久し振りのゆったりとした満ち足りた気分。宿泊所の「きんせんか」は島の高い位置にあり、人が一人しか通れない急な坂道をどんどんと下り朝食場所の「くすくす」休憩場へ向かう。オーナー手造りのサンドイッチにサラダ、フルーツにコーヒーだった。前に広がる海を見ながらゆったりゆっくり食事した。
 その後「きんせんか」に戻り樹齢1,200年の大楠の見学に向かう。島はほとんど平地が無く急な坂道に階段が多くジグザグに登ると峠に出る。徒歩20分と言うがこの坂道はしんどかった。

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 峠から急な坂を50m程下ると、少しくぼんだ所に天然記念物の大楠があった。ここまでは案内板があり迷うことは無い。楠の木は圧倒される大木である。樹高40m、根回り12.5m、東西両端に伸びる幹は50m程ある、太いしめ縄が掛けてあり赤い鳥居と小さな社が立っていた。中心の幹に手や胸を当てて触れると私の心音と木の心音が鼓動共鳴している様に感じた。これは神の木に違いないと確信した。
 大楠の周りは囲まれ、後ろ三方に姥百合が青い実を付けていた。7月には白い花が咲き見事で美しいと言う。大楠の放つ冷気と微かな香りに癒され包まれて、何時までも此処に留まって居たかったが、秋の蚊に責め立てられて次の楠の倉の展望に向かった。
 この展望台は海に向かって大きく開かれた窓を持つ小さな小屋で、瀬戸内の青い海に点々と横たわる緑の島々を見た。ニュージランドで見たテカポ湖の善き羊飼いの教会の様であった。その後、島の最高地点の横尾の辻(109m)へ。

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 ここは360度の展望が広がる見晴らしの良い所で、立て看板の島々と実際に見る島々を照らし合わせて楽しんだ、太陽は燦燦と降り注ぎ風は爽やかで青い穏やかな海、緑の島々に今までの疲れも吹っ飛んだ。そして12時のお昼の食事の待つ「くすくす」に戻った。
 帰り道には神社や古い地蔵さんを幾つも見た。島のアイドルの山羊を見る小屋には生まれたばかり、まだへその緒を付けて、よろよろしている黒い山羊や、寝ているもの、反芻して口をもぐもぐしているもの等の総ての山羊が白色なのに黒い山羊が生まれた。何でと不思議だった。
 「くすくす」の休憩所は島で唯一の場所で昼には村の漁師さんが食事していた。私達は2階で食事した。その後「きんせんか」に戻り自由に過ごす。昼寝の人、魚釣りに行く人、洗濯する人、ストレッチする人、おしゃべりする人、誰にも束縛されずテレビもラジオも新聞もない自然あるのみ、ゆったりとした命洗われる時間を過ごした。

 その後希望者で、又急な坂道を登って「天空のお花畑」を見に行く。かつてこの島は花の島と呼ばれ島全体に花畑が広がり、海からもパッチワークの様に花々が見えたと言う。今は多くの花畑が失われてしまったが、再生しようと島民のボランティアが活動している、その一つ、馬の背と言う花畑に行った。婦人が草取りをしていたが斜面にはキク科の花が植えられていたがまだ花は付いて居なかった。耕した赤茶の地面が海に落ち込むところまで続いていてこの場所に花が一杯咲けばどんなに美しいか想像した。
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 帰り道再び大楠に会いに行った。ちょうど太陽が沈む頃であったのか、楠の中心の幹の隙間から太陽がぱっと差し込み目を射る「ウオー」と神秘の叫び声が出た。この光景を心に抱き山を下りた。途中で島のふれあい会館へ寄り絵画や写真、昔の農機具などを見て、「くすくす」休憩所のオーナーに島の成り立ちや太子信仰の地蔵の事など聞いて帰途についた。「きんせんか」の庭の夏ミカンを取って食べ、最後の夕食に島で取れた魚に舌ずつみした。一日中多くの場所を巡り、一寸疲れたけれど今まで味わったことのない充実した時間を持ちました。
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9月26日 3日目: さて、楽しかった旅もついに最終日を迎えました。
 朝は7時からの食事で、やや高齢化しているメンバーは早起きであるため、三々五々、日の出を見に行きます。今日登山する予定の讃岐富士の右側から6時きっかりに日が昇ります。突堤に日の出を見に行く人が多い中、私たちは二人では5時25分にゲストハウスを出て、楠の倉展望台を目指しました。5時45分くらいに着き、展望台の窓枠から写真を狙いましたが、うまい構図にならず諦めました。この場所で日の出を拝み、もう一度大楠に触れ、横尾の辻で360度の展望を欲ばりました。とてもよい朝を過ごし、「くすくす」で朝食を頂きました。
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 9時に「くすくす」のご主人の運転する水上タクシーで、志々島港を出発、宮ノ下港に戻る予定です。すると奥様が「海から大楠を見られますから」と配慮してくださり、海からの大楠も見ることができました。それで、宮ノ下港に戻ると思いきや、島一周を見せていただきました。小さな島で、干潮時は2時間で一周できるとのことです。もちろん道はなく、岩場などを歩くのです。「くすくす」の奥様も島に来て、一度一周しようと思ったところ、途中で、潮が満ちてきて、岩場に取り残され、ご主人に救助要請をしたとのことでした。しかし、危険を冒してでも?一度歩きたいものです。横尾の辻、志々島の頂上の木ももう一度見ることもできました。海の上から楽しかった志々島を見ながら、今度は花の季節に来たいと短い海の旅を楽しみ、宮ノ下港に戻りました。

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 車に分乗し、30分ほどで着く「飯野山、讃岐富士」を目指します。富士山登山が中止になってしまい、ちょっと3,334メートルばかり低いのですが、讃岐の富士山制覇を目指します。登山口は「丸亀市野外活動センター」で340メートル上ります。やや登山路は単調ですが、富士らしく、同じ傾斜の整備された道を上ります。よい天気で日差しのあるところは、暑いくらいですが、概ねほどよい日陰で、快適に上っていけます。三合目、七合目からは直登の道もありますが、悠々と登山道を上っていきます。展望も開け、それが、山をほぼ一周するので、愛媛側、瀬戸内側、讃岐山脈といろいろの景色が楽しめました。満濃池はわかりませんでしたが、多くのため池、讃岐山脈の山々、近くの山や川がきれいでした。
 頂上はさほどの展望ではありませんが、薬師堂や昭和天皇の皇太子時代の句碑などが建っています。ここで、昼の軽食を頂きました。山を下りたら、おいしい「讃岐うどん」食べようと、軽い食事です。昼食後頂上から少し降りたところの展望台にいきました。木が伸びていて、展望はききませんでした。伝説の巨人「おじょも」の足跡が残るという巨石を見て、もう一度山頂に戻ります。「おじょも」は日本中に山を作ったという巨人で、讃岐にも山を作ろうと飯野山(讃岐富士)などを作ったそうです。この讃岐富士の飯野山と象頭山(こんぴらさんがある山です)に足をかけ、おしっこをしてできたのが土器川だそうです。

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 さあ、下山です。大先輩は平地と登りは大分回復しているのですが、下り坂は、少しつらい道となってしまいました。おかげさまで、みんな無事下山。
 さあ、今度目指すは讃岐うどんです。ところが期待していたお店が休みで、坂出インターも近いことから、与島のサービスエリアで食べることになりました。結構おいしかったです。大先輩から差し入れのソフトクリームを頂き、京都に向かいました。行きに合流した桂川サービスエリアで、「また会いましょう」と、17:40にお別れして、私は多治見に帰りました。
 今回は、天候にも恵まれ、とても良い旅を楽しませてもらえました。