Latest update: July 13, 2022
華観音寺の紫陽花と三岳山 839m:2022年6月15日,参加者 5 名
 15日の例会は雨天決行で小雨の中、定刻に出発した。車は雨の中快調に走りみずほインターを出て福知山に入る。その頃には雨も止み空が少し明るくなってきた。
 約2時間のドライブの後、関西花の寺25か所霊場の1番札所観音寺に到着した。
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 鎌倉時代の金剛力士像が立つどっしりとした表門を潜ると、いろいろな色の紫陽花の花が咲き誇っていた。受付を済ませ順路に沿って進むと、小国鶏と言う伊藤若冲が描く羽根の美しい鶏、雄が2羽雌を引き連れて餌を漁っている時々大きな響く声で「コケッコー」と時の声を上げ寺中に響き渡る。写真撮影をして進む寺は紫陽花寺の名にふさわしく一面どこもかも紫陽花ばかり約100種、1万本あると言う。
 花の色も花の大きさも様々に今を盛りとばかりに咲いていた。小高い斜面の紫陽花が縁側のガラス戸に映る様はそのままに見るのとは違った趣があった。大きな額の絵のようでガラスに反射して輝いていた。
 紫陽花の花を巡って行く途中に「嘆きの展望台」と看板があり「108の階段を煩悩を落とすつもりで登りなさい」とあり好奇心いっぱいで頂上に登っていった。頂上には何もない、「え!」「何もないやん」、雑木林が生い茂っているだけ私は「嘆きました」。頂上の看板には「何もない人生これこそが一番の幸せです。この意味を感じ取ってください」とあり「此の嘆きの展望台で悲しいこと辛いこと嫌なこと総てをここに置いて行って」と書いてあった。私は妙に納得してしまった。

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 紫陽花を巡る道には千手観音等の7種の観音をお祀りしている7観音霊場や道端ににっこり笑う小さなわらべ地蔵が立ち、苔むした108の古佛と五輪塔が山の斜面にあり。奈良時代インドから帰化してこの寺を開いた僧、法道仙の大きな石像そして本堂や鐘堂、達磨堂など色々多くの物を見て1,300年続く寺の散策を終えて三岳山に向かった。
 午前11時20分、三岳青年の家に到着。車を置いて登山口へ向かう。この山は福知山の最高峰で鎌倉末期には山岳霊場として開かれ、丹波の雲海の見える場としても有名だと言う。私達は喜多登山道を登る。金光寺の石柱が立つすぐ左側の道を入るといきなり急な坂、昨夜来の雨の為か粘土質で滑りやすく落ち葉が堆積しているジグザグ道を登りだした。両側は杉林が林立し暗く鬱としい。5丁目の地蔵尊が立っていた。頂上まで20丁らしい、何丁目と数えながら暗くジメジメしている道をハアハア言いながら登った。
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 ずーと登りが続く。すると「蛭がいる」の声、じめじめした道に落ち葉が積もり蛭には絶好の住処、みんなの足に這い上ってくる、上からも落ちてくる。蛭騒動が起こった。止まる度に靴やズボンの裾、襟足等のチェックを怠らない、それでも靴下に蛭はしっかりへばり付いてよほど強い力で剥がさないと取れない。登りのしんどさと蛭退治で大変だった。17丁の地蔵尊が出て来て少し行くとすぐ大きな銀杏の木のある三岳神社に着いた。
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 ここで昼食、蛭のチェックでご飯の味も分からなかった。ここが頂上と思っていたがここから30分急な坂を上り839mの山頂に着いた。頂上には関西電力の射板と五輪塔三角点がある。天気が良ければ見晴らしがよいと聞くが残念ながら頂上付近に夏霧が発生して何も見えなかったが流れる霧に霊山らしく神秘的な風景が広がった。
 頂上を1時30分に下山した。蛭も久しぶりの獲物が来て必死に我々の血を吸っているのだと、ワイワイと、登山口にもどってきた。蛭騒動があったが楽しい例会であった京都に5時に帰って来た。
 家に帰り足を見たら4か所も血を吸われていて、なかなか血が止まらず困った。それよりももっとショックだったのは蛭にこんなに吸われていたのに気が付かなかったこと自体が情けなく、年を取ると感覚まで鈍くなるのかと今すごく落ち込んでいる。