対馬の自然を求めて:2021年9月27日〜30日,参加者 15 名 |
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昨年の4月に予定した「対馬例会」ですがコロナ感染症拡大で中止になりました。さらに、今年の初めにコロナワクチンの接種が春頃に始まるとの情報があり再度5月に予定しなおしましたが、ワクチン接種が遅れ、再度中止することになりました。そして6月から高齢者に対するワクチン接種が始まり、参加者全員が2回の接種を済ませ、色々のご批判はあると思いますが感染予防を徹底して、念願の「対馬例会」を行うことにしました。
コロナの関係で予定の飛行機が欠航になったりしましたが、27日伊丹空港から福岡経由で空路対馬に14時過ぎに到着しました。
私は8年前に観光で訪れたことがありますから,今回は2回目です。前回は韓国からの観光客が多く訪れていました。韓国の釜山からは直線距離で約50キロ、ジェットフェリーを利用すれば1時間半で来られますから一番近い外国になります。その当時は8割が韓国人観光客で占められ、島内の何処へ行っても韓国人と出会い、島内がハングル文字で溢れており、ここが日本かと疑うほどでした。
しかし、今回はハングル文字がほとんど消え、交通標識や観光地で最小限見かけるだけでした。地元の人に伺うと島内の景観を重視して、元の日本の対馬に戻そうとなったそうです。コロナ禍や日韓の諸問題で訪れる韓国人観光客は皆無で、静かな一昔前の国境の島「対馬」が楽しむことができました。 自然と歴史と信仰が融合した個性的な対馬の山々のひとつである「城山」は対馬の中央に広がる浅芽(あそう)湾南岸に突き出た石英斑岩の巨大な岩塊であり、金田城(かなた)はその天然の地形を利用しつつ周囲を石壁で固めて外敵の侵入を阻んだ。人為的な城壁と天然の断崖。城の内部と外部を結ぶ城戸(城門)の遺構が3つあり水圧による決壊を防ぐ為の水門も当時の姿をとどめている。
663年白村江(はくすきのえ)の海戦に敗れた中大兄皇子が国の守りの最前線として667年に城山に「金田城」を築かせた。1000年以上の時を経た日露戦争の時再び要塞として整備され巨大な砲台が据え付けられた。1300年以前に防人が築いた古代山城と100年以上前に旧日本陸軍が建設した近代要塞が並存する城山はいつの時代も国防の重要拠点であった。“国指定の特別史跡で有り対馬の小中学生が地域学習でも登る比較的登りやすい山である”とガイドブックに記載されている。
15:15 登山口をスタート。登山口から砲台跡までは明治時代に整備された軍道を歩く。黒瀬湾を見下す岩場、7世紀の城壁東南角石塁、あずまやを経由しジグザグに登って行き城山砲台跡に着く(約1時間)ここから頂上までは5分位だが傾斜が少しあり7人だけが頂上を目指す。
山頂からは1354年前に国境守備兵防人も見たであろう大小の島が浮かぶ浅芽湾の光景が広がる。眺めが美しくお天気が良ければ韓国も望めるらしいがこの日はやや雲がかかり見えなかった。
来た道を戻る。北東の防人住居跡や城戸、城山の鎮守である大吉戸(おおきど)神社へは時間の都合で行けなかった。あるTV番組で「日本最強の城」にも選ばれた古代山城に興味があったので金田城跡を訪れる事ができ念願が叶いました。
リーダーおよび同行の皆様ありがとうございました。
19時前(?)本日泊まる民宿「釣の家」に到着。急いで入浴。宿名物の料理や海鮮を食し、コロナ禍でもあり大宴会はできず早々に就寝。 9月28日(対馬例会2日目):やや不満の残る朝食を済ませ、8時頃民宿「釣りの家」をレンタカー4台に分乗して出発。今日の行程は午前観光、午後登山である。
午前中の観光では以下の5ヶ所を訪ねた。
① 万関橋:明治時代に旧日本海軍が作った人工の運河で軍艦を通したものである。昔によくこんなものを作ったと感心する。
② 烏帽子岳展望所:対馬のほぼ中央に位置している。リアス式海岸浅芽湾を満喫した。 ③ 和多都美神社:豊玉姫命と彦火々出見尊(ひこほほでみのみこと)を祭神とする海宮。海に面して立つ鳥居は満潮時に2mも海中に沈むらしいが、我々が行った時は干潮時ですぐ近く迄行けた。鳥居の下には無数のカニがいて唐揚げにしたら美味しいあてになるなと思った。神社には国旗が翻っていて、やはり国境の島かな。
④ 木坂海神神社:海の守護神豊玉姫命を祀る対馬で唯一の一の宮。神社を囲む原生林には百本あまりの老松があり、長い石段の上に厳かに神社があった。静かな所である。
⑤ 藻小屋:海神神社の近くにある。石造りの小屋に漂着した海藻を乾かして肥料用に蓄えた倉庫である。説明が無ければ何なのかさっぱりわからない。
昼食食べ、午後は登山組と観光組と分散して行動した。
登山組は御岳(対馬の上島中央部に位置、標高479m、コースタイム往復2時間)へ登った。登山道はよく整備されており、もみの原生林の巨木や倒木が目立つ。登り初めから急な階段が続き、この日は湿気が多くて全員汗だくである。頂上の御堂の周りに山梨を発見、食べて見ることにした。表面は硬いがかじると何とも言えない味がして、一服の清涼剤みたいだ。コースタイム通りの山でした。
下山後、観光組と合流して今夜の食材の調達に向かう。目的は伊奈サバである。伊奈漁協でサバ8匹とイサキ2匹を調達出来た。関西までは出回らない貴重な魚である。値段で又、ビックリ、大サービスである。漁協で我々を担当してくれた方は,元関取の様なそれでいて非常に親切な若者でした。帰りにお酒迄頂いた。ありがとうございました。
一路今夜の宿泊施設スロースグランピングへ、途中温泉へ寄るも休業との事で断念。
今夜のメニューな伊奈サバとイサキの刺身、かっぱ巻き、焼肉、野菜。生ビール10リッター、他酒等。いつもながらのJAP専属シェフの刺身や寿司は本当に美味しかった。食材の伊奈サバは関サバより絶対美味しいと思う。シェフにはいつも美味しい料理を有難うございます。楽しい宴会はあっという間に過ぎてしまいました。感謝!感謝! 9月29日(対馬例会3日目):昨日の大宴会の疲れ(二日酔い)が心配な第三日目です。今日は7時半出発の予定でしたが、いつものようにやや早い出発となりました。
対馬の最北端にあり、釜山まで49.5kmの韓国展望台に向かいます。少し雲が厚い気がします。8時過ぎに着いたのですが、やはり、韓国は見えませんでした。(しかし、目を凝らせば、浮かぶ二隻の船の向こうにかすかに見えているような気もします。)まあ、これで良しとしておきましょう。
そして、一気に南下します。リアス式の海岸を見ながら走ります。砂浜がほとんどなく、海から一気に山、それも岩山です。海の碧と山の緑がきれいです。途中で、「ツシマヤマネコ 飛び出し注意」のレアな看板もあります。
万関橋で休憩しました。ここで、白嶽登山組と観光組に別れます。
白嶽登山は私を含め8人。さて、少し白嶽の説明をします。「白嶽」は正式には「州藻白嶽(すもしらたけ)」と言います。石英班岩の雄嶽、雌嶽の双耳峰です。国の天然記念物に指定されている州藻白嶽原始林内の霊峰です。高さは518mと高くはありません。しかし、山頂からは浅茅湾が広がる絶景とのことです。これを楽しみに、さあ、登山開始です。万関橋のパーキングからは30分ほどで登山口に着きました。ただ、道はとても狭く、「対向車が来たら、どうするねん」という道です。対馬は壹岐の人からはのろま扱いされているそうですが、車はとても乱暴で怖いと、司馬遼太郎が昭和40年代に「壹岐・対馬の道」で書いていたので、不安が募ります。幸い、対向車がなく無事に着きました。
10時28分に白嶽登山開始です。少し蒸し暑い感じがします。最初は沢沿いの緩やかな道をゆっくりと(まあ最後までゆっくりですが)進みます。山頂までは2.2km程度です。水音は優しいのですが、やはり暑く、すぐに汗びっしょりです。三度ほど小さな橋を渡り進んで行きます。川の水はとてもきれいで、顔を洗いたいくらいです。途中の橋を渡ったところに魚が群れていました。魚を取りたそうな方が2名おられましたが、無視して歩きます。20分ほどで、沢から外れ、瓦礫の道になります。瓦礫というと失礼で、対馬を形づくる石英班岩、玄武岩です。30分ほどで、オウムの岩(オウムはオウム真理教とは関係ありません)という大きな岩、そして、そのそばには行者の岩屋という巨石があります。これを横目にグングン上ります。この辺りは木の根が大きな岩を抱え込んでいます。土が少なく、岩場の上に生えているためです。従って、根の広がりは結構大きいようです。
しばらく上ると小さな鳥居が目印の上見坂分岐点に来ます。鳥居を通って、白嶽山頂を目指します。山頂まで700m。苔むした岩、木の根が目立つ道をグングンあるいはトロトロ上ります。今日は絶好調な人がいます。一方で、負傷で左手が不自由な方、飲みすぎが心配な方、今回調子の上がらない自分が心配です。蒸し暑く、大量に汗をかいて、昨夜のアルコールは完全に抜けたようです。11時半ころに雄嶽が見える時点まで来ました。
少し平らなところで、ここから先はやや岩場が険しく、左手が不自由な方は万が一のことを考え、ここまでとしました。ロープが頼りとなる急登を超えて、山頂前広場に着きました。ここが、「岩のテラス(雌嶽側)」と山頂への分岐点です。この広場かロープ伝いに急斜面を上り、雄嶽、雌嶽の分岐点である鞍部に到着です。
ここから雄嶽(岩そのものです)を後ろからふもとに回ります。12時15分です。ここで、昼食です。昨日の夕食のごはんで作ったおにぎり、お肉、卵、バナナ、ミカンと豪勢です。たっぷりと休んだ後、雄嶽に登ります。二つの岩の間の道が通りやすそうです。一人が、岩の間から悠然と上り雄嶽と言われる岩の頂上に立ちました。ただ、クマザサをかき分けた際にハプニングがありました(後述)。その後、飲みすぎが心配な方を除く全員が登頂、記念撮影をしました。風の強い日は吹き飛ばされるほどとのことでしたが、幸いそれほどの強風ではなく、無事登頂を済ませ、下山開始。特に問題なく、滑る岩を注意しながら、約一時間で、下山しました。登山口の駐車場で、途中で引き返したお二人と合流し、観光組との待ち合わせ場所に向かいます。
小茂田浜神社で合流、元寇の合戦場所を見て、皆そろって出発です。
次に向かったのは石屋根の倉庫群です。屋根瓦の代わりに平たい石が屋根に積まれています。台風などの強風に備えてのことのようです。普通の瓦屋根になっている建屋も多かったのですが、昔のままの石屋根の倉庫を見ていたら、まさにその倉庫にお米を貯蔵する地元の方に出会い、長々と話を聴き、中まで見せて頂けるという幸運に恵まれました。多くは米の倉庫として使われていたそうです。対馬ではコメは特に重要だったために高床式の
石屋根倉庫が作られたようです。
次に向かうのは念願の温泉です。ただ、山の中を走っているときにガソリンが減った車が出て、最南端の豆酘のガソリンスタンドに寄りました。これで、対馬の最北端から最南端まで走り、真ん中の宿に泊まることになりました。
さて、昨日も入れなかった温泉に向かいます。ようやく温泉につかろうとしたところで、大変な事件が起こりました。なんと、最初に雄嶽の頂上に立った方の足にマダニが食いついていました。医者が二人いましたが、マダニの治療法がわかりません。ご本人が、風呂屋の蚊取り線香でマダニを殺し、死骸を足につけたまま病院に向かいました。ご本人がその怖さを知っていて、ご自身での適切な処置で大事に至らなかったことが不幸中の幸いでした。おそらく、白嶽山頂で、笹藪をかき分けた時に喰われたかと思います。皆さんご注意を。
このようなハプニングもありましたが、初日に泊まったつりの宿にまた泊まり、食事、小宴会を楽しみ、明日の最終日に備えました。 9月30日(対馬例会4日目):対馬での最終日、午前に島の中心、厳原(いずはら)市内の観光をして午後の便で京都に帰る日程である。小雨の中8時すぎ、二日おせわになった民宿「釣の家」を出発、30分程で観光情報館に着いた。小島さんというおじさんが3時間案内してくれる。このガイドの説明は、私にはあまりにも微に入り細に入りで2日後の今、ほとんど内容は記憶に残っていない。
出来ればここでレポートを終わりたいところだが紙面の都合もあるかと思い印象のみ簡単に記しておきます。詳細は各自それなりの資料を読んでください。 ガイドのはなしでは、以下の要旨だったかと思います。
この3日間のドライブで、いたるところが自然林の山と深く入り組んだ入江を見てきました。対馬の90%は山で、残る平野部では僅か2万石のお米しか取れなかったようです。そのような弱小藩が鎌倉、室町、安土桃山、江戸時代を通して地理的にも政治経済的にも大陸朝鮮王朝と日本を結ぶ玄関として重要な役割を担うことになる。歴代の宗家の藩主は早くから朝鮮通信使などの制度を作り交流を進めていった。このために400人~500人もの人材を派遣したそうだ。費用が現在の金額で550億円と聞いて如何に重要視していたかが分かる。こうした日朝交流にとって重要な対馬藩として10万石が与えられている。
長い歴史をもつ朝鮮王朝と幕府の関係は平和的な交流、交易だけでなく争い、出兵など様々なトラブルも発生している。そうした問題も宗家藩主のしたたかな戦略で多少の不正も利用して解決し、朝鮮王朝からも幕府からも高い信頼を得たとされる。そして今も対馬には陸、海、空の自衛隊が配備され、海外交流と国防の最前線としてその重要度に変わりはないようだ。
見学した万松院では朝鮮王朝から贈られた三具足(香炉、燭台、花瓶)がおかれていた。また万松院の百雁木という132の石段の上には歴代藩主が祀られていた。
ガイドの説明中も、時折ひどい雨に会いズボンがぐっしょり、観光センター周辺でお昼をとり、空港へ。定刻14時50分対馬を立ち福岡経由で18時40分頃伊丹、無事に帰ってきた。
JAPの対馬プランはコロナ禍でこれが三度目のトライ、サハリン以来の大きなイベントで久しぶりにJAPらしい旅行を楽しんだ。今、はやりのグランピングを初めて体験したがなかなか快適だった。今回も出発が迫る中、急遽予定の便が欠航となり12時間以内にプランを変更して、宿泊先を変更してほぼ予定していた見どころを網羅したリーダーの企画力には本当に驚きました。楽しい旅行、ありがとうございました。そして、皆様ありがとうございました。
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