小笠原トレッキング:2016年12月4日〜10日 |
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参加者:猪原・嶋倉夫妻・大和夫妻・田辺・真島・白石・井本・山本・高橋・五十野
12月4日〜6日朝(五十野記):12月4日夜11時 京都竹田街道十条の高速バス乗り場に京都組が集合。翌日の小笠原への船便の事を考えると、夜行バスがベストの交通手段になる。大阪組と同じバスに合流して一路東京へ向かう。
翌5日の朝早く東京秋葉原に到着。途中朝食を済ませ、竹芝橋へ8時過ぎに到着。既に東京へ来ておられた谷さんと藤沢市在住の猪原さんと合流する。 小笠原丸乗船の手続きを済ませ、11時に乗船する。小笠原丸は今年の夏に新造船に代わり 11,000トンの豪華な客船である。2等寝台の船室に入り、荷物を置いて、船上より東京湾から見るスカイツリーなど東京の風景を楽しむ。その後 展望ラウンジに移り、酒盛りが始まる。JAPでは常にお酒が付き物で、 酔いがまわり快く横になるが、バスの疲れから結構長い昼寝となる。目が覚めると船外は少し暗くなり、御蔵島横に沈む夕日が美しく望めた。夕食をみんなで済ませ、また少しお酒をいただき、今度は本格的な眠りに付く。
![]() 6日 船の心良い揺れで十分に睡眠を取り、朝5時半過ぎに最上階の甲板に出る。外は既に亜熱帯の快い潮風を受け 東の空が少し明るく焼けてきている。6時15分にオレンジ色に焼けた空に向かい、水平線より朝日が揚がる。日の出後小笠原諸島北部の奇岩が並ぶ岩礁など見え始める。亜熱帯の陽光を受け、青空と青い海 そして緑に包まれた島々を眺めながら、午前11時に父島二見港に入港。24時間の船旅はとても快適で、ゆっくりと流れる時間が楽しめた貴重な体験であった。 12月6日【小笠原 トレッキング】(嶋倉記):船室の此処彼処で人の起きる気配がする。デッキに出て日の出を待つらしい。私もと思っていたのに睡魔に襲われ7 時まで眠ってしまった。 後で写真を見せてもらった。水平線から一点の光、茜色の空が広がっていた。午前11時定刻に「小笠原丸」は二見港に静かに接岸した。波止場に「サンシャイン小笠原」の人が迎えてくれ荷物を宿舎まで運んでくれた。 広いメインストリートに出るとハイビスカスの花やヤシの木々などがあり南国を実感する。青空が広がり天気は上々 午後からの活動が楽しみ。 部屋割りを済、荷物を置いて昼食に出かけた。 田辺さん馴染みの店「万丈」へ超豪華な海鮮料理の数々、夜の食事みたいねと皆口々に、今まで口にしたことが無い亀の卵や煮物を戴く、珍しくて美味しかった。
![]() 1時からは 世界遺産の森をガイド付きでトレッキングする。インフォメーション前で簡単な小笠原のレクチャーを受けた。小笠原諸島は日本列島がすっぼりと入る広さがあるとの事、各列島の配置は西ノ島、母島、父島、聟島である。東京から1000km、船で約24時間の距離に父島がある。そして、海底火山列島で海中から隆起して出来た(枕状溶岩が棒状でなく丸く見える事でわかる)海洋島である。それ以後一度も他の大陸と陸続きになつた事が無い島で、生物相は少なく独自の進化を遂げている。 哺乳類は蝙蝠、爬虫類はトカゲ、植物は乾性低木林である。2016年生態系の世界遺産に登録され「東洋のガラパゴス」と言われる所以である。 ガイドの嶋さんによれば生態系壊れやすく維持が大変で「東洋のガラス箱」だと言っていました。朝に黄色夕は赤色になる一日花、一年中咲いている固有種のテリハハマボウを見て車2台で長崎展望台へ移動した。此の長崎展望台からは兄島、兄島瀬戸が手に届きそうな所、目の前にドンと見える。兄島は唯一人の入っていない無人島、3?4mの乾性低木林で覆われた小笠原固有の木(ノヤシ、タコノキ)や植物(ムニンヒメツバキ、ムニンノボタン、マルハチシダ類等)鳥(アカガシラカラスハト、固有種ではないがノスリ)、哺乳類(オガサワラコウモリ)が居り世界遺産生態系では大変重要な役割をした。
台地はごつごつとした溶岩で海底から隆起したのがわかる。長崎展望台から谷一つ隔てた山は琉球松や大きな外来種の木や草が生えて 明らかに兄島との違いがはっきりと分かる。 此の山は明治時代人が入り薪用の木を植えそれが森となっていた。 飼っていた猫やヤギが野生化し、固有種のハトを襲い、ヤギはシダ類を食べつくすので固有種を守るために駆除しているとの事でした。 その後初音山の麓にある森林生態系保護地区の東平アカガシカラスバトのサンクチュアリーへ 移動、 此処では固有のハトの生息環境に適した森林の保全と森づくり、固有のハトが最優先される場所です。この森の観察路の入口で種子除去の為全員が靴の汚れを落し、観察ルートに何人の誰が何処に行ったかを調べるための色分けした物(サンゴ、青い石、黒い石)を缶に入れてルールに沿って歩きました。ルートの土壌は湿った所から乾いた所と様々で、其処に適合した高木林や低木林帯が在り「小笠原固有の植物」が多く見られ、父島列島に生息する絶滅危惧種の7割が この森に育成していると聞きました。この森には固有のハトが食べるシマホルトの木等が多く、抱卵、子育てに適したタコズルなどもあり餌場や繁殖場所として利用しているのですが、固有のハトは上空からのノスリに注意を払うのですが、地上に一個だけ生む卵はネズミや猫に襲われるので人の手で卵を守るた為、ヤギ、ネズミや猫が入らない様に防具箱を張り巡らし猫・ネズミ取りをあちこちに仕掛けていました。又、ルートには雨水を貯める「ゲンゴロー池」、細い川もありヤマトヌマエビやヨシノボリ等を見る事が出来ました。至る所で外来種の松やほかの木の切り株を観ました。外来種は大きくなり過ぎて固有種の木を枯らすので人の手で倒し固有種を守っているとの事でした。倒された松のそばにはメヘゴの木が天高く枝を伸ばし葉が傘のように開き青空が透けて美しい風景でした。初音山の直ぐ近くに行きましたが固有のハトの繁殖地で立ち入り禁止で元のルートに戻りました。
道すがら多くの固有種の植物の名を教わりましたが、特にマルハチ(木性シダで葉痕が円の中に逆さのハの字模様)ノヤシ、タコノキ(海で見かける事が多いのに山に生えている)タコズル(タコノキに成らず蔓状に成る)、固有種の花は小さく白い物が多い。街でよく見かけるノボタンが此処では花びらが4枚のムニンノボタン。淡いグリーンでふわりと見えたが触るとかさっとしているムニンシラガ苔が印象に残りました。所々ルートの道に白いサンゴが散らばっているので不思議に思い尋ねると、第二次大戦の時、島人は疎開させられ軍が15000人入って来て基地として使用された名残り。道には電気も引かれたとの事、道端には電柱の残骸もありました。こんな静かな森に戦争の後が幾つも残っている事に驚きと怒りが交錯しました。 3時間余りの世界
遺産の森の観察を終えて多くの事を学んだ一日でした。4時頃雨が 早々に宿に帰り、お風呂で疲れを癒し、夜は蝙蝠ウォッチングに出かけた盛り沢山な小笠原でした。 12月7日【小笠原 トレッキング】(大和記):今日母島2日目。夜明け前にウェーザースティションに日の出を見に行ったが 一部しか見えなかった。 7時に朝食を済ませ3台のレンタカーに分乗し 島の南の高山に向かう。 東京都最南端のバス停小港海岸のパーキングに駐車し、8時半ジョンビーチを目だしトレッキングを始める。この島唯一の大きな川に沿って歩く。1m ほどの大うなぎに何度か遭遇しびっくりした。海岸部から山に入った。タコの木以外に植林された琉球松、紫、黄、白い花が咲き乱れていた。中山峠に到着。360 度展望が開けて南島、点在する島々と、今日が快晴だったらと残念だった。 ブタ海岸に着き、記念にメノウ、サンゴを拾う。そして ジョンビーチヘの山道を登っていく。しかし時間がかかりそうなので引き返す。登山道はよく整備されつつあり、さすが金持ち東京都だと思った。きた道を戻り展望の良い中山峠でお弁当を食べた。駐車場に戻りバッテリーが上がりのトラブルがあったが、小さい島なので 時間もかからず来てくれた。1時に小笠原亜熱帯農業センターに着く。 人もいないので案内図をたよりに、小笠原固有の植物を見てまわった。続いて、小笠原で一番高い 319mの中央山に向かう。登山口に着くと係員に会い、見晴台に行く途中で アカガシラカラスバトを見かけたという情報を得た。まず頂上に行き360度のを楽しみ、そしてアカガシラカラスバトを見かけた場所に行く。先頭の数人のみが見る事が出来た。見晴台に行き ひと足遅れ戻った嶋倉父さんらは又見かけたそうだ。それから 2時半頃 海洋センターヘ行く。アオウミガメに餌を与えたりして 暫し時間を過ごしました。続いて水産センターへ行く。小笠原に生息している魚類を展示している水族館でした。そして今日最後の寄り道ウェザースティション展望台に到着。あわよくば ザトウクジラか見えるかと期待とたが残念。曇り空で夕日も期待出来ず帰途につく。4時サンシャインに着く。6時に夕食。
12月8日【小笠原 母島歴史訪問】(谷記):父島から50km離れた母島に降り立つ、ここからは2グループ平たく云うところの体力派と知的好奇心派に分かれた。辛口の猪原氏を黒一点としたグループはまず観光協会の窓口に島の様子を聞きに行くことにした。すると窓口では「間もなくガイド付きツアーが出発します。お得です。もう時間がありません。残りわずか5席です。」との巧みな誘導にすぐに予約しなければ席がなくなるという恐怖心をあおられて慌ててお金を渡す。「ちょつと高いしヤツパリやめておこうかな?」とも考えるお客を予想してか間髪を入れずマイクロバスが発車される。都会育ちの純情な俊よりは騙されやすい。小さな島とてなかなかの営業戦略を心得ておられる。さてここからはドライバー兼有資格者ガイドの母島ツアーを再現してみようと思います。
![]() みなさんようこそ母島へ、この島は南北に15km、これから北端、北港までご案内します。島民は現在470人そのほとんどが沖港周辺に住んでいて他の場所には用事がないと行きません。左手を見てくださいあれは都営住宅です(昔、文化住宅とよんでいたもの)家賃1万8千円です。安いでしょう・・・。前方を見てください。あの標識は見たことないでしょう?何か分かりますか? そうですヤドカリです! あれも珍しいでしょ、メグロです。内地では鹿や熊ですよね?。ここだけしか見る事ができませんねぇ・・・この辺まで来ると森のあちこちにタコノ木やガジュマルが密集していジャングル化しているところがありますね、そこは昔、人家があった場所なのです。防風林として植えたものです。ア?あちこちに林立している大きな木はあか木です。すぐ成長するので沖縄から移植し薪として重宝しました。今はもう薪など使いませんから迷惑してます。右手の奥の方を見てくださいあの辺でトマトとパッションフルーツ作っています、地場産業です。この辺りから城壁のように張り巡らしているツルツルシートは外来種グリーンアノルドよけです。固有種のカタツムリを食べに入ろうとしてもツルンと滑って登れない特殊シートです。税金を一杯使って固有種を守っています。間もなく北端北港ですが右手奥に石標のようなものが見え喜撰か? 小学校があったのですアッこれは学校の石段ですね?。北港に着きました。降りてください。湾から突き出しているあの小さい石、あれは桟橋でした。こんな小さい港ですが戦前は大変栄えていました。日本一の金持ちでした。クサヤと南瓜でガツポリ儲けました。冬の南瓜は高級品でしたから農民に至るまで全員が白米を食べてました。それでこんな小さな港ですが小学校・村役場・駐在所。旅館までありました。ここで7分間フリータイムにします。写真も撮ってください!! は?いでは出発します。この島には砲台が残存してます。ここでも降りましょう海ののずーっと左の方にポコンと盛り上がっているのが分かりますか? 日本最北端の富士、小富士です、それで戦争が始まると硫黄島に近いこの島には砲台、海軍施設がえかれ島民は強制疎開となりました。その後アメリカに占領され、・・・、
![]() とまだまだガイドは続くのですが紙面がなくなりました。残念です。 12月8日【小笠原 フィツシング】(井本記):8時20分約束通り、今日お世話になる釣り船の船長「山チャン」の迎えがあった。メンバーは釣り船を予約しておいて下さった田辺さん、釣りのベテラン真島さん、白石さん、そして大和さんに素人の井本の5名である。「山チャン」は来るなり、こと細かく色々と指示される。 最初はウルサイ船長と思ったが、釣り場に着く頃には船長「山チャン」と我々おじさんグループのズレが何とも言えずコミカルで、その雰囲気がそれなりに気持ちよく感ずるようになり、とにかく楽しい。
![]() 30分ほど沖へ出たところで、「ここが一番の釣り場で昨日もたくさんつれました」と自信たっぷりの様子。しばらくすると「今日のこのメンバーでは無理」の一言に唖然とする。少々波の穏やかな場所に変えて竿を出す。その電動竿の操作の説明指導が又、又入る。根気よく、幾重にも指導して下さるが、我々の操作、動作がついていけず、そのやり取りがユーモラスに感じられる。お互い、決して苛立つことも無く、その場面を楽しめる。日常のくらし、時間から解放され。広大な海の上では 何事も受け入れられるものだ。素人の私もウイメロ、アカハタ等が釣れ大満足である。全員が 色々と釣り、アイゴはリリース(捨てる)といった贅沢な釣果であった。最高級魚であるウイメロ、ナンヨウカイワリ 他 20数匹を携え引き上げる。世界自然遺産の小笠原の海で釣りができるとの事なので 釣りはほとんど初めての私もメンバーに入れていただいた。船長「山チャン」、我々仲間、釣果と三拍子揃い、 近年になく大変楽しい体験となった。
![]() フィツシングの反省会では、釣果の美味しい刺身料理でビールをかたむけ、釣りの話が延々と続き、心もお腹も大満足の一日となった。私はこの小笠原行きがJAP例会への初参加であり、色々と皆様にご迷惑をおかけしたかと思いますが、今後ともよろしくお願い致します。本当に楽しい例会、ありがとうございました。 12月9日【小笠原 イルカと泳ぐ】(高橋記):今日予定はイルカと一緒に泳ぐ海ツアーと、万丈で打ち上げの昼食 ! 朝食後ツアー会社に行き、他の客と一緒にウェツトスーツや防寒着を着てから二見港に行きドリーム号に乗って出発。あいにくの天気なので海の色も本来綺麗なマリンブルーでなかつたが、島の岩肌が父島にしかない4800万年前の独特の枕状溶岩がそこらじゅうに真近い見えて海底火山の凄まじさを感じた。また自衛隊の艦船がホーバークラフトの練習をしていた。のんびり座って島を眺めていたらジョンビーチと赤い岩肌のハートロックや、無人島の南島があった ! ここはマリンブルーで上陸したかったが、11月?2月は入島島止。残念、美しい景色を撮ってから今来たコースを引き返す。途中父島と兄島の間にある海中公園に着くと、沢山の熱帯魚が群れていた。係のお姉さんが食パンをくれたので、ちぎって投げると凄い勢いで喰いつく。 そして海の中に入って下さ?いと言われたので、他の客数名と私ら三人(猪原、井本、高橋)はフィンとマスクを付けて入る。いる ! いる ! いる ! 海の中に入っただけで魚が寄ってきて手に触れる。ブダイ、スズメダイ、ベラ、etc.海底にはシォコ貝、サンゴ礁。客の男性が海中で魚にパンをあげたところ、ガブッと指まで喰いつかれ、血が滲んで痛そうだった ! 20分位 ? スノーケリングした後はイルカがいそうな所まで船でで行って、ドルフインスイムを楽しむ。船長の合図で係員がイルカと一緒に泳ぎま?す と言うのであわててマスクを付けてドボン、ドボンと入り皆の後について行くと大きな魚が ? と思いきや ヤッホーバンドウイルが出来て面白くて最高でした ! 暫く一緒に泳いで数分したら船に戻ってまた、イルカ探しに船で走って イルカと泳いで、こんな事を5回繰り返したのでさすがに疲れたが、念願のドルフインスイムが出来て面白くて最高でした ! そうそうイルカには名前が付いていてカツクン。背びれが角っと折れている感じに見えるからそうです。
![]() この後、堺浦海岸に向かう。ここは戦時中に座礁した濱江丸 ?という沈没船があり、エンジン部分が海面から露出していた。小笠原海域には百数十隻の沈没船が眠っているそうです。さて 雨の中4時間も海にいて、身体も冷え切ってしまった頃、島に戻り 着替えて万丈さんへ。父島に着いた時の昼食もテーブル満載の郷土料理に感嘆したけれど、今日もまたウミガメスープにとても大きな伊勢海老の天婦羅にアカハのから揚げ、島寿司にトロピカルフルーツと大変なご馳走でした ! 万丈ご主人様、数々のご馳走はとても美味しくて、印象に残りました。大変お世話になりました。有難うございました。
食事の後万丈にお別れして、出航までの時間土産を買ったり、私はビジターセンターで父島の歴史を見てなごり惜しむ。PM3時半、小笠原出航。桟橋で沢山の地元の人達が船に向かって手を振っている。見送る船が6隻 小笠原丸についてきて、沖近くで それぞれの船から海に空中一回転で飛び込んで分れの挨拶をしてくれた。 また来いよ? まってるよ? 海ツアーのドリーム号も最後までついてきて、見送ってくれて感激! 心に残る良い思い出となりました。
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